【検証】震度6強の揺れで自宅はどうなったか?10年間の防災収納の答え合わせ

2026年7月28日
再びの恐怖・・・

わが家は10年前の熊本地震に続き、またしても震度6強の揺れに見舞われました。
この10年間、防災を学び、実践し、模索しながら「防災収納インストラクター」として、家具の固定や安全スペースの確保、そして日頃の備えの大切さを必死に伝え続けてきました。
今回は奇しくも、その積み重ねの「答え合わせ」となりました。

また、インスタやLINEを通じて全国からいただいた温かいメッセージに、どれほど励まされたことか分かりません。本当にありがとうございました。

この1ヶ月は、通常の仕事や出張の合間に防災仲間と連絡を取ったり、物資を運んだり、夏休み中の子どもたちの受験のことも重なり、あっという間に1ヶ月が過ぎていました。やっと文字と写真で残すことができます。
地震から1ヶ月が経ち、ようやくこうして残すことができます。
今回は、わが家の10年前からの検証だけでなく、あのとき私が何を感じ、どう行動したのか、そのリアルな感情も含めて記録に残しておきたいと思います。

発災当日のこと:頭をよぎった恐怖と選択

その日、私は自宅のダイニングテーブルで仕事をしていました。

カタカタ……
ガタガタガタ!!!!

緊急アラームが鳴る暇すらない、突然の横揺れでした。

・・・これはヤバいやつだ!

10年前の揺れと同じだったので、あの時の恐怖がフラッシュバックしました。
頭の中が真っ白になりながらも、体はとっさに動いていました。
横の椅子にいた愛犬を急いで抱え、
すぐに「安全スペース」と決めていた隣の部屋の寝室へダッシュしました。
ガシャンガシャン!となるのを聞きながら、しばらく布団の上でうずくまっていました。
その時間が、ものすごく長く感じました。

家、職場、高校、塾と、家族が全員バラバラの場所にいる不安。
10年前は夜だったので家族一緒で、その不安はなかったですが、今回は「家族は大丈夫か」それが一番不安でした。

停電でエアコンが止まり、だんだん暑くなっていく・・・
テレビも見れない、状況がわからない・・・

息子が撮った、地震直後の店内

あちこちで救急車のサイレンの音が聞こえ始め、余震も続く中でしたが、それでも発災後30分ほどで、家族全員の無事が確認できた時は、心の底からホッとしました。
夫とはすぐに連絡が取れてお互いや自宅の無事を確認し、自転車で帰ってくる子どもたちには「ゆっくりでいいから、とにかく無事に帰ってきて」と伝え、そこから自宅の被害確認に向かいました。

当日:自宅の被害と防災収納の「答え合わせ」

家じゅうが「ガシャンガシャン」と音を立てていた割には、奇跡的に大きな被害はありませんでした。
音の原因は、立てていた食器が揺れて仕切りにぶつかっていた音だと思います。

チェック項目当時の状況と結果 
食器棚・洗面台引き出しは飛び出しましたが、扉は耐震ラッチのおかげて開かず、中身が飛び散ったり割れたりすることはありませんでした。
家電・インテリアテレビや冷蔵庫の転倒はなし。ペンダントライトはそもそも撤去し、雑貨も固定していたためしっかり踏ん張ってくれてました。
電気停電だと思っていましたが、約1年前に設置していた「感震ブレーカー」が正常に作動していたためでした!ブレーカーを戻すとすぐに解消しました。
ガス・水ガスの停止や水の濁りも発生せず、数日様子を見ましたが、問題ありませんでした。

もう、心から言いたい……

安全対策って、本当に大事です!!

いや、今までも伝えてましたが、全力で伝えたい!!!!

もしこれで自宅に大きな被害が出ていたら、私のこれまでの10年は一体何だったのか。
「防災収納インストラクター」なんて、二度と恥ずかしくて名乗れなかったはずです。
10年間続けてきたことは間違っていなかったと、心から思います。

壊れたものの買い替えや自宅の片付けに追われることなく、被災してすぐに「支援する側」に回れたこと。それが何よりの進化だと感じました。

被災地支援と「人とのつながり」が教えてくれたこと

発災から2日後、私が所属する「くまもと女性防災リーダーRin」を通じて被災した地域の仲間のへ、物資の支援を始めました。お米や非常用トイレ、水、野菜スープなどを拠点に持ち寄り、必要としている仲間の元へ届けました。次の日、代表者が車いっぱいに詰め込んで届けてくれました。


まずできることは、支援者を支援することだなと感じました。

時間が経つにつれて刻々と変わる現地のニーズと、物資の現状。例えば水は2Lよりも500mlが重宝されるなど、リアルな声を聞きながら動くことの大切さを実感しました。
全国から届く物資や、全国各地から駆けつけてくれる緊急車両を見るたびに、胸が熱くなりました。

発災5日後の被災地入り

私が被災地に入ったのは、地震から5日後。
熊本市内から1時間ほどのところ、2時間半かかりました。それでも早くなった方。
まだまだあちこちで崩れたり、道に段差があったり、信号が消えている中で徐行しながらの被災地入り。

お正月、主人の実家に行く際にいつも初詣に行く八代神社も崩れていました・・・
境内に断層が通っていて、ものすごく段差ができていました。

無印良品の支援物資

無印良品さんが大阪や東京からはるばる駆けつけて避難所に物資を届けてくれました。
まさか、こんな形で再開することになるとは・・・でも、ものすごく嬉しかったです。

にしても、物資置き場、何がどこにあるか、探すの難しいんですよ。絶対。
どんどん届く物資をガタイのいいお兄さんたちがホイホイ運んでて頼もしかったです!

この避難所では、中学生が配膳していたり、高校生がダンボールベッド運ぶボランティアしてました。

テルマエ・クマモトの入浴支援のサポートへ

避難所にお風呂を届ける「テルマエ・クマモト」の活動にも参加させていただきました。
お風呂上がりの皆さんの心の底から安心した笑顔や、「久しぶりにぐっすり眠れそうです」という言葉が嬉しかった!また、みなさんダンボールベッドですが、それでも少しの癒しになったら嬉しいです。私自身が大きな救いをもらいました。

これからの防災収納活動への決意

友人の住む地域へ物資をお届け

地震の被害ばかりが報道されがちですが(もちろん、問題もたくさんありますが)この10年で確実に良くなったこともいっぱいあります。
それは、目に見えないつながりや防災意識。結局のところ、災害時に一番頼りになり、私たちを助けてくれるのは「人」なんだと痛感しました。初動は特にね。

10年前、防災の知識もつながりもなくて、「自分には何もできない……」と無力さを感じていました。
子どもを守るので精一杯だし、実家は震源地でもっと大変で頼れず、保育園も学校も休み。とにかくいっぱいいっぱいだった気がします。

それが今回は、また同じ揺れで被災しながらも、すぐに支援側に回ることができた。八代市に住む親戚も、整理収納アドバイザーの友人も、SNSで知り合った方も、微力ながらサポートできたかな?と。満足はしてないですが・・・
でも、そんな進化を、私だけでなく、全国の皆さん一人ひとりの中に感じています。

広める・知ってもらう活動を加速させたい

まだ発災から1ヶ月。これからの道のりは長いです。
だからこそ、私にできる支援をこれからも続けていきます。

そして、今回の経験と検証データを胸に、私の「防災収納を伝える!」という活動をさらにパワーアップさせていきます。先日登壇させていただいた無印良品銀座店でのイベントをはじめ、全国の皆さんにお会いできた温かい時間を力に変えて。

日々の暮らしの中での小さな備えが、いざという時に自分と大切な人を守る盾になります。この記事が、皆さんの自宅の安全対策や備えを見直す小さなきっかけになれば嬉しいです。

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